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2019.06.08 御報告

 昨日になりますが 令和元年6月7日 父 村山勘五郎は69歳で天国へと旅立ちました。大変プライベートな事ではありますが、本ブログを通しまして経緯の報告をさせていただきます。


 

昨年の5月の利島村住民検診で異常が見つかり都内での精密検査の結果はステージ4の食道がんでした。手術は出来なく、放射線と抗がん剤による化学療法を入退院を繰り返しつつ1年間やって来ました。その間、いろいろな副作用に耐えつつ本当に必死に戦ってきました。そして3月の末にそれらの化学療法も続けることが困難となり、「治験」と呼ばれる新薬の開発のお手伝い(実験的な?)にわずかな望みをかけました。




 5月22日に病院を退院後、内地の弟の自宅で療養していました。退院の際に病院では「今の体調では治験は無理です。すなわちこの病院ですることはもう何もありません。」との説明に家族皆呆然となりました。それでもホンのわずかな可能性をかけ、柏にある『国立がんセンター』への診察を待つべく、最後まで必死に栄養摂取を試みていました。本人の「生きたい!帰りたい!!」との必死で諦めない思いがそうさせたのかもしれません。しかし、胃に直接栄養を入れるチューブによる栄養摂取でも嘔吐を繰り返し、十分な栄養摂取は叶わず日に日に痩せていく姿を家族はただただ見ているだけの日々でした。そして、いよいよ脱水の症状が酷くみられるようになり、近所の病院に緊急入院しここ数週間は栄養点滴をしてしのいできました。




 その間にも日々体調が悪化し、「国立がんセンター」での治験・治療も不可能となり『最後は利島に帰りたい』との思いに変わり、本人の意志を叶えるべく、利島側でも毎日のように診療所の先生・看護師さん・事務員さん・ケアマネさん・保健師さんの方々の協力のもと本日6月8日の夜の大型船にて帰る予定でおりました。私もそれに合わせて迎える為に上京し家族で利島に帰るつもりでおりました。

 ところが昨日の朝、母から泣きながら私の携帯に「もう息をしていない。間に合わなかったよ。。。」と電話がありました。


 誰にも看取られる事も無く、個室の病棟で一人吐血をした状態で倒れていたそうです。

 らしいといえばらしい最後でした。




 生前の皆様からの多大なる御恩に改めて感謝を申し上げます。ありがとうございました。この様に皆様に慕われる父を息子としても大変誇りに思います。




 なお都内での通夜告別式は以下の通りです。お時間の許す限り最後の姿をみてあげてください。


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 本当にありがとうございました。

  

                     村山 将人



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